まずは押し寿司。手抜きでも押し寿司にすれば格好がつくのがよいところ。
小鯛の酢〆を乗せる予定だったけど、都合よく材料が揃うとは限らない。 コハダにしたけど、鯵でもよかったかな。 |
ついに木型を購入。でも小さい木型は具を多く乗せられない。 夫婦二人生活の切ないところ。 |
蓮根、人参、椎茸を煮染めた具を入れた酢飯。 間には炒り卵と焼き穴子。 手抜きでカットされた穴子を使ったけど、 やっぱり自分で炊いて一本のまま入れればよかった。。 |
蛤のお吸い物。
揚げ物と同時進行で作っていたため、三つ葉を入れ忘れるという痛恨のミス。 食卓に出してから気づくが、もう気力なし、やる気なし。 |
茄子のはさみ込み揚げ。
一緒に蓮根のはさみ揚げも作ろうと思ったけど、 下ごしらえの段階で睡魔に負けて断念。 |
うどの酢みそ和え。
例年、買ったはいいが使い切れずに手を焼く桜の花の塩漬け。 これから1ヶ月、無駄に花を散らして鬼消費に走る。 |
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母方は女系一族。母は七人姉妹、末っ子の長男が唯一の男性。その子供の代も圧倒的に女が多く、そういう私も四姉妹の末っ子。
母の生家は呉服屋。戦前のことだからそれはそれは華やかだったという。特に桃の節句は女だけのもの。娘ひとりにつき一飾りのひな飾りが飾られた部屋は三月三日は男子禁制、女の園となる。女親族だけではなく、女性の使用人も招き入れ、お菓子を食べたり、甘酒や白酒を飲んでおしゃべりをしたり、歌ったり、踊ったり。私はこの夢のような話を聞くのが好きだった。
そんな母の苦労は戦後からはじまる。実家は没落し、あまつ私が中学生の時に再び家業倒産という憂き目に遭う。この騒動で私は親戚宅に居候の身となったが、その後に短期間だが再び両親と同居することになる。掘建て小屋のような祖末な家。そこでも母は祝い事、特に桃の節句はささやかながら忘れることなく祝ってくれた。
過保護で激甘に育てられた私。とうとう「勉強しろ」みたいな小言を知らずに育ってしまう。だけど、母は「例え桜餅ひとつでもちゃんとお祝いはするものよ」のようなことはやたら言っていた。さり気なく吹き込まれる言葉は、どれもハードルが低いがゆえに「何が何でも」という義務感となって五十近い女の行動をも支配し続ける。特にひな祭り前夜は妙な緊張感が走る。きっと従姉妹や姉も似たような感じに違いない。
今日の爆音:日曜日から夕食時の不在が続き、大鍋料理と日替わり+αで夫に我慢してもらう。明日はポッカリ一日空くので出来立てを提供できる。残り物の清算大会になりそうだけど、出来立てが一番。そして日中は惰眠を貪るぞー!
来週末の人間椅子のライブに向け予習開始。聴き込んだバンドではないけど、ライブは良さそうな予感。
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